別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年2月14日月曜日

土肥実平の菩提寺:城願寺~湯河原町~




城願寺は、源頼朝の挙兵に参じ、石橋山の戦いで敗れた頼朝を救った土肥実平の菩提寺。





ビャクシン

土肥実平お手植えと伝えられる樹齢800年の古木。



七騎堂には、源頼朝が真鶴から安房へ渡る際に従った「頼朝七騎の像」が祀られている。


土肥一族の墓所






源頼朝挙兵


山木館襲撃~源頼朝の挙兵~

石橋山の戦い


湯河原・真鶴の源頼朝伝説







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


歴史めぐり源頼朝


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安房へ渡った源頼朝~鎌倉殿の13人第六話~


石橋山の戦いに敗れ、逃げ込んだ土肥山中で梶原景時に見逃してもらった頼朝

安達盛長​箱根権現へ向かうことを進言しますが、25里と聞いて・・・

25里というと100㎞ということでしょうか???

鎌倉を目指した方が近いようです。

結局、行かなかったようですが。


その後、甲斐から戻った義時三浦義村が船で助けに来ていることを知らされますが、その浜まではやはり25里。

確かに頼朝が隠れ潜んでいたというしとどの窟は、​箱根権現と船出の浜の中間くらいにありますが、25里というのは・・・


結局、義村の船には乗れませんでしたが、土肥実平が用意した船で安房国へと渡りました。


しかし、義村が船で駆け付けたというストーリーには驚きです。

その頃、三浦軍は衣笠城畠山重忠河越重頼江戸重長に攻められて大変だった時。

さらに義村は義時より年下で12、3歳なのかと思われます。

ただ、三谷先生としては、義時のライバルとなる義村を三浦を引っ張っていく人物として描く必要があるのでしょう。


次回は、千葉常胤のもとへ安達盛長が、上総広常のもとへ和田義盛義時が使者として向かうようです。

鎌倉が近くなってきました。


さて、八重姫ですが、千鶴丸に会うため伊豆山権現を訪れます。

しかし、すでにこの世にいないことが知らされました。

どうなるのでしょう・・・



箱根神社

箱根神社は、古来箱根権現と称された霊場。

箱根権現の別当行実は、石橋山の戦いに敗れた頼朝を匿ったのだと伝えられています。


真鶴岩海岸


頼朝が船出したのは真鶴町の岩海岸


源頼朝上陸地


真鶴から船出した頼朝が上陸したのは、鋸南町の竜島海岸




湯河原・真鶴の源頼朝伝説

熱海と源頼朝の伝説


源頼朝挙兵

小坪・衣笠合戦


源頼朝鎌倉入り







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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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2022年2月13日日曜日

安房国へ渡るのが当初からの計画だったのかも!~鎌倉殿の13人~


(鋸南町:竜島海岸)


1180年(治承4年)8月17日、源頼朝源氏再興の挙兵

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では鎌倉を目指しての挙兵でした。

しかし、頼朝が次に動き出したのは8月20日。

「鎌倉殿の13人」第五話では、時政がすぐに「鎌倉を目指すべき」と進言したにもかかわらず、18日は観音様を拝む日であるので戦はできないと断り、翌日には中原知親なる顔の長いという男の所領を没収しています(参考:観音信者だった源頼朝)。

『吾妻鏡』にも同じようなことが記されていますが、そんなことをしている時間があったのでしょうか?

「鎌倉殿の13人」では、山木館襲撃に集まった人数は二十数人。

おそらく、そんなものだったのでしょう。

石橋山の戦いでも三百騎だったといわれています。

だとすると、山木館襲撃後すぐに鎌倉を目指したとしても、大庭景親の軍勢に阻まれいたでしょう。

日を置けば、さらにその可能性は高くなるはず。


しかし、何かを待っていたのだとすれば、日を置く意味が出てきます。

それは三浦の軍船。

その軍船で安房国へ渡ろうとしていたのだとしたら。

しかし、誤算だったのは悪天候のため三浦軍が軍船を出せなかった事。

『吾妻鏡』にも三浦軍は海路を使って参陣する予定だったことが記録されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

軍船を出せなかった三浦軍は陸路で石橋山へ向かいますが、間に合わず、頼朝の敗北を聞いて三浦へ引き返します。

しかし、途中の由比ヶ浜大庭景親の出動要請に応じた畠山重忠と合戦となり、さらに、その後の衣笠合戦で総帥の三浦義明が討死(小坪・衣笠合戦)。

義明の命によって子の義澄や孫の和田義盛は安房国へと船出します。

当時の安房国は三浦氏の勢力圏内だったのだとか。


一方、石橋山での敗戦後、頼朝は土肥山中を彷徨い、一時箱根権現に身を寄せますが、すぐに下山して真鶴から安房国へ船出しています。

とすると、安房国へ渡って軍勢を整えるということは当初からの決まり事。

石橋山での敗戦という想定外の事が起こり、余計な時間を過ごしたとしても、予定どおりに事は進んだと考えられそうです。


頼朝の挙兵については、まだまだ明らかになっていないことも多く、推測に基づく説も多いので、自分の推測と三谷先生の脚本を比べてみるのも面白いかもしれません。



源頼朝挙兵


石橋山の戦い


源頼朝鎌倉入り








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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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石橋山から伊豆へ向かった北条宗時~鎌倉殿の13人~


『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いでの敗北後、時政義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥から桑原(函南町)を経て平井郷(函南町)へ向かおうとしたようです。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもそんなストーリーになっています。

しかし、宗時は平井郷を目の前にして伊東祐親軍に討たれてしまったようです。

時政が甲斐国を目指したことについては、武田信義を味方につけるためということで理解できますが・・・

宗時は何故、伊豆国へ戻っていったのでしょう・・・

まさか、ドラマのように頼朝から観音像を取ってくるように命じられたからではないでしょう。

「鎌倉殿の13人」では、六話以降にその本当の理由が明らかになってくるのかもしれませんが・・・


宗時の墓があるのは函南町大竹。

川を渡れば平井。

もう少しで北条の地という場所です。

伊豆国経由で甲斐国へと向かう予定だったということも考えられますが・・・


参考までに、頼朝石橋山の戦いで討死した者に対して弔いをしているようですが、宗時に対するものは記録されていないようです。

時政は1202年(建仁2年)に伊豆国で宗時の菩提を弔ったようですが・・・

それは頼朝の死後の事。

石橋山の戦いから20年以上も経ってからのことです。

頼朝と宗時の間には何かあったのかもしれません。


📎北条時政の不思議な行動~石橋山の戦い~



冷川

『吾妻鏡』によると、宗時が討たれたのは早川(はやかわ)。

早川とは函南町を流れる冷川(ひえかわ)の事ではないかとする説があります。









北条宗時


石橋山の戦い







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2022年2月11日金曜日

鎌倉桜情報!ソメイヨシノ開花予想2022/02/10





2月10日、「ウェザーマップ」と「日本気象協会」から2022年のソメイヨシノの開花予想が発表されました。


ウェザーマップの予想は・・・

東京の開花は3月25日

満開は4月2日

横浜の開花は3月26日

満開は4月2日


日本気象協会の予想は・・・

東京の開花は3月22日

横浜の開花は3月23日

となっています。


(注)御霊神社の写真を載せましたが、御霊神社では昨年から境内撮影禁止となっています。




鎌倉の桜








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022桜の開花・満開情報


2022鎌倉で花見



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あたみ桜

頼朝桜まつり~鋸南町~

松田町の河津桜


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~鎌倉原産の桜~
(京都で人気を集めた鎌倉桜)

鎌倉桜~桐ヶ谷~

普賢象


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~鎌倉市の木~

ヤマザクラ

オオシマザクラ


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