源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
2025年4月16日水曜日
静御前終焉の地の静桜 2025/04/15
埼玉県久喜市にある静御前の墓に咲く
静桜
。
静御前
が
源義経
の菩提を弔うために植えた桜が名の起こりと伝えられています。
静桜は、5枚の花弁の中に、おしべが花びらのように変化した旗弁(はたべん)が混じる珍しい桜。
4月15に現在で満開です。
静御前の墓は、JR東北本線・東武鉄道日光線「栗橋駅」から徒歩1分。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2025年4月14日月曜日
富士山本宮浅間大社~源頼朝・北条義時が崇敬した社~
富士山本宮浅間大社
は富士山の噴火を鎮めるために建てられた社。
湧玉池
噴火を鎮めるためには水が必要。
そのため清水の湧く地に遷座されたのではないかといわれています。
富士山本宮浅間大社
の祭神
「木花開耶姫」
(このはなさくやひめ)は、
源頼朝
や
北条義時
が崇敬した
三嶋大社
の祭神「大山祗神」(おおやまつみのかみ)の娘。
源頼朝
は、1193年(建久4年)の
富士裾野の巻狩り
の際に
流鏑馬
を奉納しています。
北条義時
は、1223年(貞応2年)6月20日に「遷宮の儀」を執り行っています。
流鏑馬
富士山本宮浅間大社
の流鏑馬は、頼朝が奉納したことに始まるのだと伝えられています。
毎年5月4日・5日・6日には流鏑馬まつりが開催され、5日の本祭では
小笠原流
斎藤支教場の方々による流鏑馬が奉納されています。
桜の馬場
富士山浅間大社の御神木は桜。
流鏑馬は桜の馬場で催されます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
長谷寺文庫
長谷寺文庫
は完全予約制の図書館。
2018年(平成30年)に開設されました。
コロナ禍により休館していましたが、2025年(令和7年)4月1日から再び開館しています。
利用予約は
長谷寺HP
で確認してください。
長谷寺文庫
(書院)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2025年4月13日日曜日
GW流鏑馬まつり~富士山本宮浅間大社 源頼朝が伝えた流鏑馬~
富士山本宮浅間大社
の流鏑馬は、1193年(建久4年)、
源頼朝
が
富士の裾野で巻狩
を行った際に奉納したことに始まるのだと伝えられています。
毎年、5月4日から6日に開催される「流鏑馬まつり」の本祭では
小笠原流流鏑馬
が奉納されます。
5月4日
11:00:流鏑馬前日祭
5月5日
10:00:流鏑馬式(古式・市無形民俗文化財)
12:00:流鏑馬練行
15:00:神事流鏑馬式(小笠原流)
5月6日
11:00:流鏑馬後日祭
桜の馬場
5日の小笠原流流鏑馬式は、楼門前の
桜の馬場
でが行われます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
源頼朝は安達盛長に刺されて死んだ?~高野山の伝説~
源頼朝
は、1199年(建久10年)1月13日に亡くなりました(53歳)。
頼朝の死因について、『吾妻鏡』には
相模川の橋供養
の帰りに落馬して程なく亡くなったと記されています。
これが一般的な説となっていますが・・・
北条政子
が
源実朝
の菩提を弔うために創建したという
高野山
の
金剛三昧院
にかつてあった史料「真俗雑録」には、
源頼朝
の死についての「驚くべき説」が書かれていたようです。
その内容は・・・
「夜中に
御所
を徘徊する不審者を
安達盛長
が刀で刺すと、それは
鶴岡八幡宮
に参籠しているはずの源頼朝だった」
というもの。
頼朝は自分の恥になるので頓死したことにするよう遺言したのだとか。
金剛三昧院
金剛三昧院
は、1211年(建暦元年)、
北条政子
の発願で
源頼朝
の菩提を弔うために建立された禅定院に始まる寺院ともいわれます(諸説あり)。
1219年(承久元年)、暗殺された
源実朝
の遺骨が納められ、金剛三昧院に改称されたのだとも。
実朝の死後、出家して
高野山
に入った
安達景盛
が伽藍整備を行なったようです。
景盛は、頼朝を刺したとされる
盛長
の嫡男。
毎年4月13日、
源頼朝墓
では、頼朝の遺徳を偲ぶ
「墓前祭」
が執り行われます。
かつては、
鎌倉まつり
の最後を飾っていたイベントのようです。
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