別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年3月30日土曜日

近江の白鬚神社と倭姫命




琵琶湖の西岸の白鬚神社は近江国最古の大社。

創建者は、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命。

『日本書紀』によると・・・

倭姫命は、天照大神を伊勢の地に祀ったとされ、初代の斎王(斎宮)とされています。




斎宮は、伊勢神宮に奉仕した斎王のこと。

斎王は、未婚の内親王または女王のことで、賀茂神社(上賀茂神社下鴨神社)の斎王と区別するため斎宮とも呼ばれます。

西京高校グランドの邸宅発掘調査では、「斎宮」「斎雑所」と書かれた土器などが発見され、斎宮邸の一つと判明しています。

紫式部『源氏物語』~賢木の巻~では、光源氏と深い関係にあった六条御息所の娘が伊勢神宮に仕える斎王となっています(秋好中宮)。




建部大社は倭姫命の甥・日本武尊を祀る社。

日本武尊は倭姫命から草薙剣を賜ったのだとか。



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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2024年3月29日金曜日

琵琶湖の打出浜から船出~紫式部、越前への旅~




996年(長徳2年)、越前国へ下向するため父の藤原為時とともに都を発った紫式部は、逢坂の関を越えて大津へ。

そして、琵琶湖の打出浜から船出し、湖西を渡って行きます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大津には・・・



近江神宮は、『百人一首』の一番歌を詠んだ天智天皇を祀る社。

映画「ちはやふる」の舞台にもなりました。

紫式部「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」は『百人一首』に選ばれた歌。




唐崎神社は祓の霊場として知られた社。

紫式部『源氏物語』~少女の巻~では、五節の舞姫を務めた近江守源良清の娘が祓を行っています。



比叡山慈眼堂歴代天台座主の墓所には、清少納言・紫式部・和泉式部の供養塔も。




浮御堂は、比叡山横川源信(恵心僧都)が衆生済度と琵琶湖の湖上安全を発願して建立したのだと伝えられています。

源信は『源氏物語』に登場する横川の僧都のモデルとも。




紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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近江の海へ~紫式部、越前への旅~




逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。

996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前へ下向するため京を発った紫式部逢坂の関を越えて打出浜から船出します。


石山寺東大門

石山寺は、藤原兼家藤原道長などの貴族が参詣した観音霊場。

赤染衛門清少納言和泉式部藤原道綱の母などが逢坂の関を通って石山寺を参拝していたようです。

紫式部『源氏物語』では、石山寺参詣の途中の光源氏が任期を終えて妻の空蝉ととも帰京する常陸介(元伊予介)一行と出逢っています。

ただ関があった場所の詳細は不明らしい・・・。



紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


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