別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年11月1日水曜日

源倫子からの贈り物:菊の着せ綿~紫式部日記~




1008年(寛弘5年)9月9日、すでに盛りを過ぎていた紫式部に「老いをぬぐい去る」という「菊の着せ綿」が藤原道長の北の方(源倫子)から贈られました。


紫式部


感激した紫式部は「菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」とお礼の歌を詠みました。

(この菊の露に私ごときはほんのちょっと若返る程度に袖をふれるだけにとどめまして、この露がもたらす千年もの歳は、花の持主であるあなた様にお譲り申しましょう)

しかし、その時はすでに倫子が自分の部屋に帰ってしまったので「菊の着せ綿」は手元にとどめることにしたのだとか。


菊酒をいただく


旧暦の9月9日は重陽の節会。

菊の花の盛りの時なので、菊の花を観賞したり菊酒を飲んだりしたため「菊花の宴」とも呼ばれました。

ただ、1008年(寛弘5年)の重陽の節会は中宮・藤原彰子の出産が間近だったため行われなかったようです。









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


紫式部と越前国

源氏物語

光源氏

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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平安時代に行われていた打毬と源氏物語


(風俗博物館パネル)


打毬(だきゅう)は、平安時代に端午の節会の際に行われた宮中行事で、乗馬した競技者が左右に分かれ、毬を毬門(ゴール)に入れる競技。

822年(弘仁13年)正月、渤海国の国使が豊楽殿で打毬を行ったという記録があることから渤海国を通じて日本に伝わったとする説が有力。


紫式部『源氏物語』~蛍の巻~では・・・

光源氏六条院花散里の御殿「夏の町」の馬場で「手結」(てつがい)を催しています。

夕霧が武徳殿での催しの後に行ったもので、紫の上の「南の町」にも続いていたため多くの女房が見物。

勝負のたびに「打毬楽」(たぎゅうらく)や「落蹲」(らくそん)なども奏でられました。

この「手結」が「打毬」なのではないかとする説があります。


打毬楽の装束
(風俗博物館パネル)









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紫式部


紫式部と越前国

源氏物語

光源氏

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

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藤原彰子



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2023年10月31日火曜日

須賀神社~徳川家康 小山評定の地~




須賀神社は、940年(天慶3年)に藤原秀郷が京都の祇園社を勧請して創建した社。

徳川家康が小山評定を開いたことでも知られています。



徳川家康小山評定の碑

1600年(慶長5年)、上杉景勝を討伐の途中で小山に陣を布いた徳川家康は、石田三成が挙兵したことを知ると、須賀神社境内で軍議を開き(小山評定)、参籠して関が原の戦勝を祈願したのだと伝えられています。







関ヶ原の戦い

徳川家康







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

徳川氏発祥の地

松平氏発祥の地

家康生誕地

徳川家康出生伝説


東照宮



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鎌倉と関ケ原の戦いと徳川家康~星ノ井・鶴岡八幡宮・長谷寺~




1600年(慶長5年)6月16日、徳川家康は会津の上杉景勝を征伐するため大坂城を出発します。

そして、6月29日、鎌倉に到着。

鎌倉の入口、極楽寺坂の下にある鎌倉十井の一つ星ノ井の石碑には、1600年(慶長5年)6月に家康が井戸を見物したことが刻まれています。

星ノ井は、家康が見物したことで世に知られるようになったのだとか・・・。





鎌倉に入った家康は、鶴岡八幡宮を参詣し、神宝の剣「康国」を守り刀として借り出したそうです。

その後、家康は金沢を経て7月2日に江戸城に入ります。

7月21日、会津へと出陣しますが、24日、下野国小山で石田三成が挙兵したことを知ります。

そして、9月15日、天下分け目の関ヶ原の戦いで家康は三成に勝利しています。



長谷観音


家康は、関ヶ原に出陣する際に長谷寺を参詣し、合戦後、観音堂を修復したという伝承も・・・




関ヶ原の戦い

徳川家康







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徳川氏発祥の地

松平氏発祥の地

家康生誕地

徳川家康出生伝説


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2023年10月30日月曜日

京都御苑の白雲神社




京都御苑白雲神社は、源頼朝北条政子と関係のあった西園寺公経ゆかりの社。

公経が造営した北山殿(現在の金閣寺の地)に建立した妙音堂が始まりなのだといいます。












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鎌倉との繋がりを求めて。
奈良・京都

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝


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