別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年4月29日月曜日

奈良の長谷寺と鎌倉の長谷寺~徳道の観音様~


奈良の長谷寺鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。

創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。



奈良の長谷寺は、東大寺開山の良弁の弟子だったという徳道が聖武天皇の勅命により開いたと伝えられる寺。

平安中期には初瀬詣(長谷寺詣)が盛んになり藤原道長が参詣。

道長の時代に活躍した女流文学者の菅原道綱母清少納言紫式部赤染衛門菅原孝標女も参詣しました。



観音堂

鎌倉の長谷寺も徳道が開いたと伝えられている寺。

奈良の長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いた『長谷寺縁起絵巻』が伝えられています。

伝説によると、徳道は近江国で見つけたクスノキの倒木から二体の十一面観音像を造らせました。

一体は奈良の長谷寺に安置され、もう一体は行基が海に流したのだといいます。

流された観音像は、牡蠣殻に導かれて鎌倉に辿り着いたのだとか。


参考までに、紫式部ゆかりの京都大雲寺の本尊は行基作と伝わる十一面観音ですが、奈良の長谷寺鎌倉の長谷寺の十一面観音像と同じ霊木で造立されたのだと伝えられています。





長谷観音の伝説


徳道と花山法皇









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紫式部と越前国


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琵琶湖で紫式部・源氏物語


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紫式部


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2024年4月28日日曜日

宇治陵:兼家・道隆・詮子・道長・彰子の埋骨地



宇治陵は、関白・藤原基経が定めた藤原北家一門の埋骨地。


藤原氏塋域の碑


塋域碑には、冬嗣・基経・時平・兼家道隆道長頼通・師実の名が刻まれています。

その他・・・

冷泉天皇の女御・藤原超子

円融天皇の中宮・藤原媓子

円融天皇の中宮・藤原遵子

花山天皇の生母・藤原懐子

一条天皇の生母・藤原詮子

一条天皇の中宮・藤原彰子

三条天皇の皇后・藤原娍子

三条天皇の中宮・藤原妍子

後一条天皇の中宮・藤原威子

後朱雀天皇の女御・藤原嬉子

などが葬られました。





紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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2024年4月27日土曜日

長刀鉾の守護神は和田合戦のきっかけを作った泉親衡~祇園祭~




京都の祇園祭のハイライトは山鉾巡行。

長刀鉾は「前祭巡行」の先頭を行く鉾。

三条宗近が祇園社(八坂神社)に奉納した長刀を立てたことから「長刀鉾」と呼ばれます。




鉾先の長刀の下に祀られているのは和泉小次郎親衡の像。

親衡は、三条宗近の長刀を愛用し、山河を駆け巡っていたのだとか・・・






和泉小次郎親衡(泉親衡)は、源頼家の遺児を奉じて北条義時打倒を企てた人物(泉親平の乱)。

泉親衡の乱は、和田義盛が滅亡する和田合戦のきっかけとなりました。

義盛の三男で大力武勇の猛者といわれた朝比奈義秀と並び称される勇士だったのだといいます。






八坂神社

祇園祭八坂神社の祭礼。

かつての八坂神社は、祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を祭神としていたことから、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていました。




祇園祭


鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


和田合戦


歴史めぐり源頼朝








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葵祭


紫式部


清少納言


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2024年4月26日金曜日

東大寺東塔の高さは68メートル


かつての東大寺には、大仏殿の東西に七重塔(東塔・西塔)が配されていました。

2024年(令和6年)、東塔について研究してきた奈良文化財研究所は、その高さは68メートルだったというとりまとめ結果を発表しました。




東塔は、1180年(治承4年)12月の平重衡による南都焼討で焼失した後、1227年(嘉禄3年)頃に再建されましたが、1362年(康安2年)に落雷で焼失してしまいました。







現存する木造塔で一番高いのは京都の東寺五重塔

東大寺の東塔は、それより13メートルも高かったようです。

東大寺で受戒したという藤原道長も日本最大級の塔を見ていたのでしょうか。



南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~


東大寺大仏殿落慶供養


東大寺









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藤原道長


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