(葉山町)
葉山にある新善光寺は、もとは鎌倉の名越にあった寺。
源頼朝が信濃善光寺を参詣した際に請来した善光寺如来を祀るために創建されたのだといいますが、創建の詳細は不明です。
北条時政の名越亭に置かれていた御分身を時政の孫・名越朝時が弁ヶ谷に新善光寺を創建して祀ったとも伝えられています。
信濃善光寺の本尊は絶対秘仏の「一光三尊阿弥陀如来」(善光寺如来)。
一つの光背の中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊が並ぶ独特な仏像。
鎌倉時代には日本の各地で模像が制作されました。
茅ヶ崎の室生寺には、大庭景義の持仏ともいわれている像が伝えられています(国重文)。
大井町の最明寺の本尊は開山の源延が模刻したという善光寺式阿弥陀三尊像。
鎌倉の円覚寺に伝わる銅造阿弥陀如来及両脇侍立像は国の重要文化財。
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(東京人形町 大観音寺)
東京人形町にある大観音寺の本尊は、鎌倉の鉄ノ井から掘り出された鉄観音(鉄造聖観音像)の頭部。
鉄観音は、扇ヶ谷にあった新清水寺の本尊でした。
新清水寺は、京都の清水観音に帰依していた北条政子の創建(源頼朝創建とも)と伝えられていますが、1258年(正嘉2年)に焼失。
江戸時代に鉄観音の頭部が鉄ノ井から掘り出され、井戸の前にあった鉄観音堂に安置されていました。
明治の神仏分離令により鉄観音堂は廃されますが、鉄観音の頭部は東京人形町の大観音寺の本尊として信仰されています。
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清凉寺式釈迦如来
(極楽寺)
極楽寺の清凉寺式釈迦如来は、清凉寺ヶ谷にあった新清凉寺にあったものともいわれています。
清凉寺式釈迦如来は、京都の清凉寺の本尊・三国伝来の釈迦如来の模刻。
新清凉寺の創建年等は不明ですが、奈良・西大寺の叡尊が滞在したと伝えられ、それにより西大寺流律宗の基盤が固められ、弟子の忍性は極楽寺を開いたのだといいます。
清凉寺の三国伝来の釈迦如来は、東大寺の奝然(ちょうねん)が中国の宋より持ち帰ったもの。
もとはインドにあったもので、中国を経て日本に伝わったことから「三国伝来の釈迦如来」と呼ばれています。
釈迦如来像の像内からは、絹で作られた五臓六腑も発見されています。
鎌倉時代には清涼寺式釈迦如来として多くの像が模刻されました。
横浜称名寺の釈迦堂の本尊も清涼式釈迦如来です。
北条義時の釈迦堂に安置されたのも清涼寺式釈迦如来だったといわれ、その像は杉本寺を経て、現在、東京目黒の大円寺に安置されている像だといわれています。
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長谷寺は、天平年間の創建と伝えられますが、観音ミュージアムに収蔵されている梵鐘の銘文から鎌倉時代後期の建立ではないかと考えられています。
梵鐘は1264年(文永元年)の鋳造で、銘文に「新長谷寺」の文字が刻まれています。
「新長谷寺」は、大和国長谷寺(奈良)に対するもの。
本尊の十一面観音像は、大和国長谷寺の十一面観音とともに 開山の徳道が近江国で譲り受けた楠の霊木で造立させたものと伝えられていますが・・・
徳道の時代(奈良時代)のものとは言い難く、室町時代以降の作と考えられているようです。
徳道は西国三十三所巡礼の開祖。
大和国長谷寺は、西国三十三所巡礼の根本道場として栄えました。
鎌倉の長谷寺は坂東三十三所の四番札所。
坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが西国三十三所の霊場を観たことで、開設につながったのだといわれています。
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