1271年(文永8年)9月12日、幕府や諸宗を批判した日蓮が捕らえられます(龍ノ口法難)。
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松葉ヶ谷の草庵で捕えられた日蓮は、裸馬に乗せられて龍ノ口刑場へと護送されたのだといいます。
大町の妙法寺・安国論寺、材木座の長勝寺が松葉ヶ谷草庵のあった地とされていますが、何処にあったのかは特定されてはいません・・・
草庵を出た日蓮は大町大路を通って下馬へ。
下馬橋は、鶴岡八幡宮の参道若宮大路に架けられていた橋。
ここで日蓮は鶴岡八幡宮に向かって「法門のために霊験を現わしたまえ」と大音声で請願したといわれています。
下馬から長谷小路に入った日蓮は・・・
塔ノ辻から由比ヶ浜に出て、御霊神社の前を通って極楽寺切通を進んだと考えられています。
極楽寺切通を通ったとすると、忍性の極楽寺前を通ることになりますが・・・
忍性は光明寺の良忠らと日蓮を訴えたとも言われています。
極楽寺前では忍性に何か申したのでしょうか?
極楽寺切通を越えた日蓮は・・・
袈裟を血で汚すのは恐れ多いといって松の枝に掛けたのだといいます。
七里ヶ浜に出る手前には、日蓮袈裟掛松の碑が建てられています。
七里ヶ浜は、小動岬と稲村ヶ崎との間の砂浜。
かつての旅人が打ち上げられた海藻の香りをかぎながら夢の鎌倉を目指した古道。
七里ヶ浜に出た日蓮は、小動岬から龍ノ口刑場へ連れていかれたのでしょう。
処刑されるはずでしたが・・・
江の島方面から光が発せられ、急に雷雨が激しくなり、役人の太刀が折れてしまったのだとか。
そのため、処刑は中止されたのだと伝えられています。
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