明王院は、四代将軍・藤原頼経が五大明王を祀る寺院として建立しました。
五大明王のうち鎌倉時代のものは不動明王のみですが、肥後定慶の作とされています。
肥後定慶とは?
運慶の次男・康運のこととする説が有力となっています。
京都栂尾の高山寺の縁起によると、康運は定慶に改名しているのだとか。
かつて、京都には運慶が建立した地蔵十輪院がありました。
地蔵十輪院が焼亡した後、廬舎那仏と四天王像が高山寺に移されたのだといいますが、四天王像のうちの広目天は康運の作でした。
『高山寺縁起』には「広目天康運 改名定慶」と記されているようです。
ということで、定慶=康運という推測が成り立つのだとか。
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伝統的工芸品に指定されている鎌倉彫のもとは・・・
東大寺の大仏を鋳造した陳和卿が宋から持ってきた彫漆工芸。
それを康運が真似て仏具を作ったことに始まるのだと言われています。
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2025年9月9日から