東大寺の本尊・銅造盧舎那仏坐像は、聖武天皇の願いで造立された仏像。
東大寺大仏、奈良の大仏と呼ばれ親しまれています。
「盧舎那仏」(るしゃなぶつ)は、釈迦如来の別名で世界を照らす仏・ひかり輝く仏なのだといいます。
左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っているのだとか。
しかし、聖武天皇の大仏は、1180年(治承4年)に平重衡の兵火(南都焼討)によって焼失してしまいます。
南都焼討では藤原氏の氏寺・興福寺が全焼。
東大寺も主要伽藍のほとんどが焼け落ち、難を逃れたのは二月堂・法華堂・転害門などだけだったのだとか。
東大寺の再興は、南都焼討の翌年から後白河法皇の支援のもとで始められました。
まず行われたのは大仏の鋳造。
大勧進職に重源が就任し、鋳造には宋の工人陳和卿が尽力。
源頼朝も大仏の鍍金料として千両の金を寄進しています(奥州平泉の藤原秀衡は五千両の金を寄進。)。
そして、1185年(文治元年)8月28日に開眼供養が行われました。
開眼供養では後白河法皇自らが筆をとったのだ伝えられています。
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鎌倉との繋がりを求めて。