別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年8月28日水曜日

後白河法皇の願いで再興された東大寺の大仏


東大寺の本尊・銅造盧舎那仏坐像は、聖武天皇の願いで造立された仏像。

東大寺大仏、奈良の大仏と呼ばれ親しまれています。




「盧舎那仏」(るしゃなぶつ)は、釈迦如来の別名で世界を照らす仏・ひかり輝く仏なのだといいます。

左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っているのだとか。


しかし、聖武天皇の大仏は、1180年(治承4年)に平重衡の兵火(南都焼討)によって焼失してしまいます。

南都焼討では藤原氏の氏寺・興福寺が全焼。

東大寺も主要伽藍のほとんどが焼け落ち、難を逃れたのは二月堂法華堂転害門などだけだったのだとか。

東大寺の再興は、南都焼討の翌年から後白河法皇の支援のもとで始められました。

まず行われたのは大仏の鋳造。

大勧進職に重源が就任し、鋳造には宋の工人陳和卿が尽力。

源頼朝も大仏の鍍金料として千両の金を寄進しています(奥州平泉藤原秀衡は五千両の金を寄進。)。

そして、1185年(文治元年)8月28日に開眼供養が行われました。

開眼供養では後白河法皇自らが筆をとったのだ伝えられています。




東大寺



南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~

東大寺大仏殿落慶供養








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