関白・藤原道隆の正室・高階貴子の曾祖父・高階師尚は、恬子内親王と在原業平の子という伝承があります。
『伊勢物語』に登場する「斎宮なりける人」は恬子内親王といわれ、朝廷より派遣された「狩の使」(鳥獣を得るため狩りをした勅使)は在原業平と考えられていますが・・・
二人はお互いに惹かれあって一夜をともにしています。
ただ物語の中では、逢瀬を遂げることはできなかったのだとか。
しかし・・・
恬子内親王は懐妊し、生まれた子は高階師尚という話が流布されるようになってしまったのだといいます。
のちに、一条天皇は譲位に当たって、皇后の藤原定子が生んだ第一皇子の敦康親王を東宮(皇太子)にと望みますが・・・
藤原行成に中宮・藤原彰子が生んだ第二皇子の敦成親王(のちの後一条天皇)を立てるよう進言されて諦めたのだといいます。
行成の進言の内容は、
「定子の母・高階貴子が師尚の子孫のため、伊勢神宮に憚るところがある」
というものだったらしい。
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