長徳の変後、藤原伊周は大宰府に、弟の隆家は出雲国に左遷という勅が発せられました。
『栄花物語』によると・・・
母の高階貴子が面会に訪れ、中宮・藤原定子とともに一つに手を取り合って悲しみの一晩を過ごします。
夜が明けて・・・
なかなか配所へ出発しない伊周らに検非違使らが「出発の時になりました」と声をかけても、貴子も定子も伊周の袖をつかんで放さなかったのだといいます。
ようやく出発しますが、貴子は伊周の車から離れず、山崎まで乗っていったのだとか。
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大宰府と出雲国に左遷された伊周と隆家ですが・・・
伊周は播磨国に、隆家は但馬国に留める勅が発せられています。
伊周が播磨国の明石にいることを知った母貴子は、息子を思う歌を詠んでいます。
播磨国に留まっていた伊周は、その後、病に倒れた母貴子を案じて秘かに入京しますが、捕らえられ、改めて大宰府に護送されたのだと伝えられています。
📎高階貴子の歌~明石の藤原伊周を思って詠んだ歌~
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伊周が流された播磨国の明石は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏が流れ着いた地。
『栄花物語』 には
「かたがたに別るる身にも似たるかな明石の須磨も己が浦浦」
という伊周の歌がありますが・・・
『栄花物語』は、光源氏の須磨・明石への蟄居を参考に書かれたようです。
📎藤原伊周の歌~播磨国配流と栄花物語「浦々の別」~
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