993年(正暦4年)頃から一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた清少納言でしたが・・・
996年(長徳2年)の長徳の変では、定子は里第の二条宮に下り、清少納言は「道長のスパイ」と噂されて引き篭もってしまったのだといわれています。
翌年、左遷された藤原伊周の罪を許されると・・・
一条天皇は、再び定子を宮中に迎え入れます。
そして、定子は清少納言に戻ってきて欲しいという願いを込めて上質な紙を贈ります。
これをきっかけに書き始められたのが『枕草子』なのだとか・・・
1000年(長保2年)、定子は一条天皇の第二皇女・媄子内親王を出産後に崩御。
清少納言も宮中を去りますが、翌年には定子の才色兼備ぶりを書いた『枕草子』を完成させたのだといわれています。
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