996年(長徳2年)1月16日、花山法皇を射るという事件を起こした藤原伊周(長徳の変)。
弟の隆家は、それ以前に藤原道長の従者・秦久忠を隆家の従者が殺害するという事件も起こしていました。
さらに、母高階貴子の父高階成忠が道長を呪詛しているという噂も流れていました。
宮中のみでしか行うことができない大元帥法を私に修したこともあったようです。
翌年2月24日、伊周は・・・
〇花山法皇を襲撃したこと
〇詮子を呪詛したこと
〇太元師法を修したこと
という三つの罪で大宰府へ左遷となります。
弟の隆家は出雲国へ左遷。
母の高階貴子は、出立の車に取り付いて同行を願ったが許されず、間もなく病に伏し、10月に薨去しました。
懐妊中の中宮藤原定子(妹)は里第二条宮に退出して出家し、12月、一条天皇の第一皇女となる脩子内親王を出産しています。
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