奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。
創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。
奈良の長谷寺は、東大寺開山の良弁の弟子だったという徳道が聖武天皇の勅命により開いたと伝えられる寺。
平安中期には初瀬詣(長谷寺詣)が盛んになり藤原道長が参詣。
道長の時代に活躍した女流文学者の菅原道綱母・清少納言・紫式部・赤染衛門・菅原孝標女も参詣しました。
鎌倉の長谷寺も徳道が開いたと伝えられている寺。
奈良の長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いた『長谷寺縁起絵巻』が伝えられています。
伝説によると、徳道は近江国で見つけたクスノキの倒木から二体の十一面観音像を造らせました。
一体は奈良の長谷寺に安置され、もう一体は行基が海に流したのだといいます。
流された観音像は、牡蠣殻に導かれて鎌倉に辿り着いたのだとか。
参考までに、紫式部ゆかりの京都大雲寺の本尊は行基作と伝わる十一面観音ですが、奈良の長谷寺や鎌倉の長谷寺の十一面観音像と同じ霊木で造立されたのだと伝えられています。
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