『吾妻鏡』によると・・・
1254年(建長6年)12月18日、御所(若宮大路幕府)で『光源氏物語』の講義を源親行が行っている。
『光源氏物語』は、紫式部の『源氏物語』のこと。
京都の大原三千院に伝えられている『拾珠抄』(しゅうじゅしょう)には、地獄に堕ちた紫式部を供養するための源氏供養の願文が収められ、その中でも『光源氏物語』と呼ばれているらしい。
『光源氏物語』の講義が行われた時の将軍は宗尊親王。
宮内庁の『源氏秘義抄』には、宗尊親王の御所の屏風には色紙形の源氏絵が作られて貼られていたことが記されているらしい。
この源氏絵は将軍家に伝来していた『源氏物語絵巻』を依拠したもので、『源氏物語絵巻』の絵は紀の局と長門の局が描き、詞書は法性寺忠通(藤原忠通)や花園有仁(源有仁)だったのだという。
ということは、『源氏物語』が作られてから約100年後に作られた『源氏物語絵巻』が鎌倉にあったことになる。
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