別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年12月22日木曜日

流人源頼朝が信仰した寺院~鳳来寺・智満寺・慈光寺~




三河国の鳳来寺は薬師如来の霊場。

1159年(平治元年)12月、平治の乱平清盛に敗れた源頼朝が匿われた寺なのだとか。

1185年(文治元年)、頼朝は、その恩に報いるため、梶原景時に命じて三重塔をはじめとする諸堂を建立したのだと伝えられています。



鳳来寺の参道石段は1425段。

頼朝の寄進とも。


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駿河国の智満寺は、771年(宝亀2年)創建と伝えられる天台宗の古刹。

1159年(平治元年)の平治の乱に敗れて伊豆国に流された源頼朝は、智満寺に参籠して源氏再興を祈願したのだと伝えられ、1189年(文治5年)には、千葉常胤に命じて本堂を再建したのだといiいます。


頼朝杉

智満寺には頼朝のお手植えといわれる頼朝杉が聳えていました。

残念ながら2012年(平成24年)に倒木してしまいましたが、2015年(平成27年)に頼朝杉の一部は弥勒菩薩像として蘇り、2022年(令和4年)には源頼朝の尊像が完成しました。

頼朝像は、頼朝が武家の都の中心に据えた鶴岡八幡宮に奉納される予定です。


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武蔵国の慈光寺は、平安時代には天台宗の別院となり七十五坊を擁した大寺院でした。

 『吾妻鏡』によると・・・

伊豆の流人だった源頼朝が信仰し、安達盛長を遣わして署名入りの梵鐘を鋳造させたのだといいます。

また、奥州征伐の際には戦勝祈願の祈祷を命じています。

当時の別当は厳耀。

畠山重忠の伯父(大伯父とも)と言われています。

重忠の子重慶・円耀も別当を勤めたのだと伝えられています。




歴史めぐり源頼朝



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