『吾妻鏡』によると・・・
1180年(治承4年)11月17日、源頼朝は和田義盛を侍所別当に補任しました。
何故、義盛だったのか・・・
8月の石橋山の戦いの後、安房国へ渡って頼朝と合流した義盛は、今後どうなるかわからない状況下で、侍所の別当にしてくれるよう頼んでいたのだそうです。
しかし、1192年(建久3年)、梶原景時に「一日だけその名を貸してくれ」と頼まれ、喪に服さなけれならない理由のあった義盛がそれを許すと・・・
そのまま別当職を景時に奪われてしまったのだとか・・・
ただ、義盛と景時の二人だけで幕府の重職を決められるはずがなく、景時が別当となったのは、頼朝の意向だったと考えるのが妥当なのかも。
1200年((正治2年)正月20日、景時が滅びると、義盛は別当に復職しています。
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