別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年6月20日月曜日

吉見御所と呼ばれた源範頼の伝説


(吉見町:安楽寺)


1159年(平治元年)の平治の乱で源氏の棟梁源義朝平清盛に敗れ、尾張国野間で家臣の裏切りに遭い最期を遂げました。

埼玉県吉見町の伝承によると、当時10歳前後だった六男の範頼安楽寺に隠れ住んだのだといいます。

そして、兄頼朝の乳母を務めた比企尼をはじめとする比企一族の庇護のもとに成長したのだとか。




安楽寺は、坂東三十三箇所11番で吉見観音と呼ばれます。

範頼は、本堂や三重塔を建立したと伝えられていますが、1537年(天文6年)に後北条氏が松山城を攻めた際に消失してしまったそうです。




(吉見町)


息障院は、範頼の館跡といわれる地にある寺院。

吉見で成長した範頼は、1180年(治承4年)に頼朝が鎌倉を本拠とした後も吉見に住み続けていたのだとか。

※『吾妻鏡』に範頼が初めて登場するのは、1183年(寿永2年)のこと。




その後、兄頼朝の下で、木曽義仲追討一ノ谷の戦い壇ノ浦の戦いで活躍した範頼でしたが・・・

1193年(建久4年)、謀反の疑いをかけられ伊豆の修禅寺に幽閉され、間もなく梶原景時らに攻められて自害したのだと伝えられています。

範頼修禅寺に流された時、比企尼は曾孫の範圓と源昭の助命を嘆願。

範圓は、範頼館に居住し、子孫は吉見氏を称するようになったのだ伝えられています。

※範頼の妻は、安達盛長の娘で比企尼の長女・丹後内侍が産んだ子。



源範頼の謀叛


比企尼


源範頼が書いた起請文








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