別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年6月19日日曜日

源範頼伝説~修禅寺に幽閉された範頼の最期~




1193年(建久4年)、源頼朝に謀反の疑いをかけられた源範頼は、修禅寺信功院)に幽閉されました。

その後、梶原景時に攻められ自刃したと伝えられています。




日枝神社の庚申塔のある場所に範頼が幽閉された信功院があったのだといいます。




昔、源範頼墓がある地には、小さな石祠が建てられて八幡神と呼ばれ、8月15日を祭礼の日としていました。

祠の中の神は、冕冠(べんかん)を頂いた束帯姿で、弓と矢を握っていたことから、信功院で憤死した範頼の遺体をここに埋め、鎌倉に憚りがあるので八幡神を祀ったのではないかと伝えられてきたそうです。

そして、明治12年、当時の土地所有者が頭の骨が納められたものを掘り出したことから、伝説のとおり範頼の墳墓の地とされ、祠の横に「蒲公碑」が建てられたのだといいます。

範頼は、遠江国蒲御厨の出身であるころから「蒲殿」と呼ばれていました。



修善寺の梅林に向かう途中には安達盛長の墓があります。

安達盛長の妻は比企尼の娘丹後内侍。

娘は範頼の妻となりました。

かつては範頼の墓の近くにあったのだといいます。



修禅寺

源範頼の謀反


源範頼が書いた起請文









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