大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第十七話では、武田信義の嫡男一条忠頼が、木曽義高と結んで謀反を企てたとして成敗されましたが・・・
『吾妻鏡』によると・・・
一条忠頼の謀反(木曽義高は関係ありません。)を察知していた源頼朝は、御所で暗殺することにします。
1184年(元暦元年)6月16日夜、招かれた忠頼は頼朝の正面に座ります。
その周りには数人の御家人が座っていました。
暗殺を命じられたのは工藤祐経。
酌をしながら暗殺を実行しようとしていたようですが・・・
躊躇しているので、小山田有重が祐経から銚子を取り上げ、子の稲毛重成と榛谷重朝が杯と肴を持って忠頼の前に進み出ます。
そして、有重は息子たちに給仕の際の袴の裾のくくり紐の結び方について語り、紐を結びなおします。
それに見とれていたを忠頼の左側に天野遠景が太刀を持って近づき、あっという間に殺害してしまったのだといいます。
参考までに・・・
これより3年前の治承5年3月7日、武田信義は謀反を疑われています。
理由は、後白河法皇が信義に頼朝追討の宣旨を下すという噂が流れたため。
この時、信義は起請文を書いているようです。
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2022年の大河ドラマ