一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで活躍し、平家を滅亡させた最大の功労者のはずだった源義経ですが・・・
源頼朝の推挙なくして、朝廷から左衛門少尉の任官と検非違使の宣旨を受けてしまったことで怒りをかってしまいます。
さらに、頼朝のもとには、梶原景時の「合戦の手柄を自分一人のものとしようとしている」という書状や平時忠の娘(蕨姫)を娶ったという情報が寄せられます。
源範頼からも義経の越権行為に対する苦情が寄せられていたようです。
その他にも、義経に対する御家人の不満が頼朝のもとに届く中、1185年(元暦元年)5月4日、頼朝は畿内西国の御家人に「義経に従ってはならぬ」という命を下しました。
数日後、義経は平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとしますが、頼朝は鎌倉に入る事を許しませんでした。
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2022年の大河ドラマ