仏行寺の裏山にある源太塚は、1200年(正治2年)正月20日、上洛途上の駿河国清見関で討死した梶原景季の片腕が埋められているという古塚。
景季は、梶原景時の嫡男。
北条義時らとともに源頼朝の寝所警護を命じられるなど、頼朝に信頼されていた武将です。
木曽義仲追討の宇治川の戦いでは佐々木高綱と先陣争いを演じて武名を上げ、一ノ谷の戦いでは平重衡を捕えました。
謀反の疑いのある源義経の監視役も命じられました。
頼朝亡き後の1199年(建久10年)、父景時が鎌倉を追放されると、ともに相模国の一の宮に退き、翌年正月、上洛を企てますが、駿河国清見関で在地武士に襲われ最期を遂げています(享年39)。
仏行寺は、景季の死を悲しんで自害した妻の信夫の霊を慰めるために建てられたのだといいます。
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