別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年1月7日木曜日

許されるはずだった城長茂、無作法で御家人推薦取消し!


城長茂は、越後国の武将。

鎮守府将軍平維茂の子繁成の七代目の子孫。

平家に属して源頼朝に反逆したことから、捕えられて梶原景時に預けられていましたが、熊野の僧・定任に「御家人に列してやって欲しい」と頼まれ、頼朝はそれを許したのだといいます。

定任は、頼朝の持仏大将王尊と御願書を預かっている僧で、長茂の仏教の師でもあったのだそうです。


『吾妻鏡』によると・・・

1188年(文治4年)9月14日、熊野から鎌倉へやってきた定任は、頼朝の御所を訪れます。

頼朝は、定任を御簾の中に呼んで、世間話をはじめました。

侍所には、南側に畠山重忠、北側に梶原景時を筆頭とする御家人が控えています。

そこへ、背丈が七尺(約210cm)もある城長茂が入ってきました。

しかし、御簾に背を向けて座ってしまいます。

梶原景時が、

「そこは頼朝様が着座する間」

と注意すると、長茂は、

「知らなかった」

と言って立ち上がり、退出してしまったのだといいます。

頼朝は何も言わなかったようですが、定任は長茂の御家人推薦を取り消したのだとか・・・




梶原景時

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