「鶴岡八幡宮文書」の寿永2年2月27日付け寄進状には、頼朝の名はこう記されています。
「前右兵衛佐源朝臣頼朝」。
「右兵衛佐」(うひょうえのすけ)は、頼朝の最初の官職。
前(さきの)が付いているので、以前はそうでしたという意味。
寿永2年の2月の時点では、頼朝は朝廷への反逆者ですので無官でした。
「源」(みなもとの)は「氏」(うじ)。
「氏」は同じ祖先をもつ血族グループのことで、皇族がその身分を離れて臣下の籍に降りるとき(一般人になるとき)に与えられました。
「みなもと」の後には「の」が付きます。
「朝臣」(あそん)は「姓」(かばね)。
「姓」は、古代に成立した「八色の姓」(やくさのかばね)の一つで、「真人」(まひと)、「朝臣」(あそみ・あそん)、「宿禰」(すくね)、「忌寸」(いみき)、「道師」(みちのし)、「臣」(おみ)、「連」(むらじ)、「稲置」(いなぎ)がありました。
「頼朝」(よりとも)は「名前」。
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頼朝の名字は何?
現代では、名字(苗字・みょうじ)は家系や家族の名として使われています。
民法では「氏」(うじ)と呼んでいます。
申請書などの様式には、「氏名」の欄がありますが、これは名字と名前のこと。
「姓名」としている様式もあります。
しかし、この「氏」や「姓」と頼朝も時代のそれとは異なります。
「源朝臣頼朝」(みなもとのあそんよりとも)は、「天皇から授かった源の血筋を引く頼朝です」という意味。
「みなもと」の後には「の」が付けられますが、皇族が一般人になるときに与えられた氏には「の」が付けられます。
「平」・「藤原」・「橘」・「菅原」・「大江」などの氏も同じです。
源頼朝の重臣・北条時政や千葉常胤などの場合はどうなのか。
北条や千葉は地名からとった名字。
北条時政も千葉常胤も平氏ですので、正式の場では「平朝臣時政」・「平朝臣常胤」と名乗ることとなります。
ということで、頼朝には北条や千葉のような名字がないようです。
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緊急事態だから・・・
自宅で頼朝!