まずは、「伊豆の国市の子ども創作能」を指導されている能楽師の八田先生の仕舞「玄象」(げんじょう)。
子ども仕舞「老松」(おいまつ)と「小督」(こごう)。
そして、子ども創作能「伊豆の頼朝」。
前の右兵衛佐(うひょうえのすけ)の頼朝とは我のことなり。
頼朝は、1159年(平治元年)、父義朝とともに戦った平治の乱で平清盛に敗れ、翌年、伊豆に流されていました。
流されたのは蛭ヶ小島だったのだと伝えられています。
頼朝は、前の右兵衛佐だったので「佐殿」(すけどの)と呼ばれていたそうです。
鎌倉の佐助稲荷神社は、「佐殿」(すけどの)を助けた稲荷神ということでその名がつけられたのだとか・・・
以仁王からの平家打倒の令旨を受け取った頼朝。
妻政子の父時政に相談します。
すると時政は「このようにめでたいことはない」と言って挙兵を勧めたようです。
挙兵を決意した頼朝は、まず伊豆の目代山木兼隆を討つことにします。
兼隆は、「平家にあらずんば人にあらず」と言い放った平時忠の代官でした。
頼朝が合戦の火ぶたを切る矢を放ちます。
激しい戦いが繰り広げられました。
そして、見事に山木兼隆を捕えます。
源氏再興の挙兵を果たした源頼朝
私は、これで3回目の見学ですが、毎回素晴らしく、今回も感動しました。
これからも、いろんな所で源頼朝を学んで頂きたいと思います。
必ず、出世するはずです。
頼朝が住んだ所で一番長いのは伊豆。
伊豆の国市を走る伊豆箱根鉄道駿豆線沿線の沿線には、たくさんの頼朝の足跡がありますね。
頼朝を学ぶには素晴らしい環境です。
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