近江国蒲生郡佐々木荘を領し、近江源氏とも呼ばれました。
平治の乱で源義朝に従った佐々木秀義は、乱後、母方の伯母が嫁いだ奥州平泉の藤原秀衡を頼ろうとしますが、奥州への途中で、相模国の渋谷重国に引き止められ、庇護を受けていました。
長男の定綱・次男の経高・三男の盛綱も行動をともにし、四男の高綱は幼少だったため同行しなかったようです。
源頼朝が挙兵するときに頼りにした佐々木四兄弟とは、この秀義の四人の子。
定綱、盛綱、高綱の母は源為義の娘。
したがって、源頼朝とは従兄弟の関係。
経高の母は宇都宮氏の娘。
義清と厳秀の母は渋谷重国の娘。
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1180年(治承4年)8月、伊豆国の源頼朝が挙兵します。
『吾妻鏡』によれば・・・
8月6日、頼朝は、来る17日を挙兵の日と定めます。
その日、工藤茂光、土肥実平、岡崎義実、宇佐美佑茂、天野遠景、佐々木盛綱、加藤景廉らが一人ずつ部屋に呼ばれて、頼朝から言葉をかけられたようです。
9日、大庭景親が四兄弟の父秀義を呼び出し、「源頼朝討伐の密事」を話します。
翌日、秀義は、その話を頼朝に伝えるため、嫡男定綱を遣わしています。
11日、定綱は頼朝のもとに到着して景親の密事を報告し、14日朝に渋谷庄への帰路についています。
頼朝は止めたそうですが、甲冑を用意して参上する旨を申し上げ、暇をもらったということです。
このとき頼朝は、定綱に「16日には戻って来るように」と伝えるとともに、渋谷重国に対して手紙を書いたといいます。
挙兵の前日。
一日中雨だったそうです。
佐々木四兄弟には、この日に到着するよう言ってありましたが、未だに到着していません。
頼朝は、人数が集まらないので、明日の合戦を躊躇していたといいます。
しかし、日延べするにしても・・・
18日は、幼児のころから観音さまを祀って祈る日となっていますので、合戦はできません。
19日になれば、密事が世間にばれてしまうでしょう。
そして、佐々木四兄弟は、平家の家人渋谷重国に面倒をみてもらっているので、彼らに密事を漏らしたことを後悔したのだとか・・・。
そして挙兵の日。
午後になって佐々木四兄弟が到着しました。
定綱と経高は疲れた馬で、盛綱と高綱は徒歩での到着です。
頼朝はとても喜びます。
そして、涙を浮かべながら、
「お前達の遅刻で、予定していた今朝方の合戦が出来なかった。残念である」と語ります。
佐々木四兄弟は、「洪水のため遅れました」と申し上げ、謝罪したといいます。
その晩、頼朝は山木兼隆を襲撃させます。
加藤景廉と盛綱は、留守番として頼朝の傍らにいました。
まず、定綱、経高、高綱の三人が、山木兼隆の後見役堤権守信遠を討ちます。
このとき、経高の放った鏑矢が、平家を征伐するための最初の矢でした。
その後、佐々木兄弟は、山木兼隆襲撃の軍に加わります。
頼朝は、「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが・・・、
その火がなかなか見えないので、留守の加藤景廉、盛綱、堀親家らを山木館へ向かわせました。
景廉には、長刀を与え、「兼隆の首を討って持参すべし」と命じています。
そして、盛綱と景廉は、兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。
兵達が帰ってきたのは、18日の明け方でした。
山木館襲撃MAP
(右上のフルスクリーンで大きな地図)
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山木兼隆を討った頼朝は、20日、相模国へ進軍しますが、石橋山の戦いで大庭景親・伊東祐親らに敗れてしまいます。
戦後、佐々木四兄弟は、渋谷庄に戻ります。
『吾妻鏡』によれば・・・
8月26日、頼朝を破った大庭景親は、渋谷重国のもとへ行き、
「佐々木四兄弟は、頼朝に属し平家に弓を引いた。
その罪は許されることではない。
佐々木四兄弟を捜しているが、妻子らを捕らえるべきだ」
と命令します。
しかし重国が、
「佐々木四兄弟には、年来の親しい間柄によって扶持を与えてきた。
しかし、彼らが旧恩のため、臣下として頼朝に仕えることを禁ずることはできない。
重国は、貴殿の招集に参じ、外孫佐々木五郎義清を連れて石橋山に駆けつけた。
その功を考えず、定綱以下の妻子を召し捕れとの命令であるが、本懐ではない」
と拒否すると、景親は、この理に伏して立ち去ったといいます。
その晩、定綱・盛綱・高綱の3人が、頼朝の異母弟全成を連れて渋谷館へ帰ってきました。
3人は深山を出たところで全成に出会ったのだといいます。
重国は喜びますが、世間の憚りを気遣って、倉庫に招き、食事と酒を勧めました。
その間、重国が「経高は討ち取られたのか?」と尋ねると、
定綱が「存念があるといって一緒に来ませんでした」と答えます。
すると重国は、
「一度だけ、頼朝様に参じるのを止めたことがある。
しかし、それを聞かず参じてしまった。
戦いに負けてしまった今、重国に会うことを恥じているのかもしれない」
と言って、部下に行方を捜させたといいます。
この話を聞いた人は、渋谷重国は情けがあると感心したということです。
のちに重国は、頼朝に臣従して所領を安堵してもらっています。
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