別冊『鎌倉手帳』

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2018年7月22日日曜日

源頼朝が頼りにした佐々木四兄弟~源氏再興の挙兵~

佐々木氏は、宇多天皇の第八皇子・敦実親王の流れをくむ宇多源氏。

近江国蒲生郡佐々木荘を領し、近江源氏とも呼ばれました。

平治の乱源義朝に従った佐々木秀義は、乱後、母方の伯母が嫁いだ奥州平泉の藤原秀衡を頼ろうとしますが、奥州への途中で、相模国の渋谷重国に引き止められ、庇護を受けていました。

長男の定綱・次男の経高・三男の盛綱も行動をともにし、四男の高綱は幼少だったため同行しなかったようです。

源頼朝が挙兵するときに頼りにした佐々木四兄弟とは、この秀義の四人の子。



定綱、盛綱、高綱の母は源為義の娘。

したがって、源頼朝とは従兄弟の関係。

経高の母は宇都宮氏の娘。

義清と厳秀の母は渋谷重国の娘。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

1180年(治承4年)8月、伊豆の源頼朝が挙兵します。


『吾妻鏡』によれば・・・

8月6日、頼朝は、来る17日を挙兵の日と定めます。

その日、工藤茂光、土肥実平岡崎義実、宇佐美佑茂、天野遠景、佐々木盛綱、加藤景廉らが一人ずつ部屋に呼ばれて、頼朝から言葉をかけられたようです。


9日、大庭景親が四兄弟の父秀義を呼び出し、「源頼朝討伐の密事」を話します。

翌日、秀義は、その話を頼朝に伝えるため、嫡男定綱を使わしています。

11日、定綱は頼朝のもとに到着して景親の密事を報告し、14日朝に渋谷庄への帰路についています。

頼朝は止めたそうですが、甲冑を用意して参上する旨を申し上げ、暇をもらったということです。

このとき頼朝は、定綱に「16日には戻って来るように」と伝えるとともに、渋谷重国に対して手紙を書いたといいます。


挙兵の前日。

一日中雨だったそうです。

佐々木四兄弟には、この日に到着するよう言ってありましたが、未だに到着していません。

頼朝は、人数が集まらないので、明日の合戦を躊躇していたといいます。

しかし、日延べするにしても・・・

18日は、幼児のころから観音さまを祀って祈る日となっていますので、合戦はできません。

19日になれば、密事が世間にばれてしまうでしょう。

そして、佐々木四兄弟は、平家の家人渋谷重国に面倒をみてもらっているので、彼らに密事を漏らしたことを後悔したのだとか・・・。


そして挙兵の日。

午後になって佐々木四兄弟が到着しました。

定綱と経高は疲れた馬で、盛綱と高綱は徒歩での到着です。

頼朝はとても喜びます。

そして、涙を浮かべながら、

「お前達の遅刻で、予定していた今朝方の合戦が出来なかった。残念である」と語ります。

佐々木四兄弟は、「洪水のため遅れました」と申し上げ、謝罪したといいます。


その晩、頼朝は山木兼隆を襲撃させます。

加藤景廉と佐々木盛綱は、留守番として頼朝の傍らにいました。

まず、佐々木定綱、経高、高綱の三人が、山木兼隆の後見役堤権守信遠を討ちます。

このとき、経高の放った鏑矢が、平家を征伐するための最初の矢でした。

その後、佐々木兄弟は、山木兼隆襲撃の軍に加わります。

頼朝は、「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが・・・、

その火がなかなか見えないので、留守の加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家らを山木館へ向かわせました。

景廉には、長刀を与え、「兼隆の首を討って持参すべし」と命じています。

そして、盛綱と景廉は、兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。

兵達が帰ってきたのは、18日の明け方でした。


山木館襲撃MAP
(右上のフルスクリーンで大きな地図)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

山木兼隆を討った頼朝は、20日、相模国へ進軍しますが、石橋山の戦い大庭景親伊東祐親らに敗れてしまいます。

戦後、佐々木四兄弟は、渋谷庄に戻ります。


『吾妻鏡』によれば・・・

8月26日、頼朝を破った大庭景親は、渋谷重国のもとへ行き、

「佐々木四兄弟は、頼朝に属し平家に弓を引いた。

その罪は許されることではない。

佐々木四兄弟を捜しているが、妻子らを捕らえるべきだ」

と命令します。

しかし重国が、

「佐々木四兄弟には、年来の親しい間柄によって扶持を与えてきた。

しかし、彼らが旧恩のため、臣下として頼朝に仕えることを禁ずることはできない。

重国は、貴殿の招集に参じ、外孫佐々木五郎義清を連れて石橋山に駆けつけた。

その功を考えず、定綱以下の妻子を召し捕れとの命令であるが、本懐ではない」

と拒否すると、景親は、この理に伏して立ち去ったといいます。


その晩、定綱・盛綱・高綱の3人が、頼朝の異母弟全成を連れて渋谷館へ帰ってきました。

3人は深山を出たところで全成に出会ったのだといいます。

重国は喜びますが、世間の憚りを気遣って、倉庫に招き、食事と酒を勧めました。

その間、重国が「経高は討ち取られたのか?」と尋ねると、

定綱が「存念があるといって一緒に来ませんでした」と答えます。

すると重国は、

「一度だけ、頼朝様に参じるのを止めたことがある。

しかし、それを聞かず参じてしまった。

戦いに負けてしまった今、重国に会うことを恥じているのかもしれない」

と言って、部下に行方を捜させたといいます。

この話を聞いた人は、渋谷重国は情けがあると感心したということです。

のちに重国は、頼朝に臣従して所領を安堵してもらっています。




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