京都大徳寺の開山は、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)。
大燈国師の名で知られています。
初めは天台宗を学びますが、のちに高峰顕日、南浦紹明に参禅します。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に住持すると宗峰も鎌倉に入って修行したそうです。
その後は、京都で乞食行をし、非常に厳格な修行に励んだのだといいます。
宗峰はこう言いました。
「坐禅せば四条五条の橋の上往き来の人を深山木に見て」
「坐禅も練熟してくると、都会のごみごみとしたそうぞうしさの中でも、それに心を引きずられなくなる」
というような意味のようです。
南浦紹明(大応国師)→宗峰妙超(大燈国師)→関山慧玄へ続く法系は「応灯関」と呼ばれ、現在の日本臨済宗の源流とも言えるのだそうです。
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鎌倉との繋がりを求めて。