別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年11月1日水曜日

源頼朝の母・由良御前

熱田神宮大宮司藤原季範の娘として尾張国で誕生した由良御前。

生誕日等の詳しいことは不明。


(名古屋市熱田区)

熱田神宮は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀った神社で、
113年(景行天皇43年)の創建と伝えられています。

大宮司職は、代々尾張氏(季範の母の実家)が務めていましたが、尾張員職のときに外孫の季範に譲られました。

以後、藤原氏が大宮司職を世襲しています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

由良御前は、久安年間頃に源義朝と結婚。

頼朝希義、坊門姫を産みました。

源頼朝誕生地
(名古屋市熱田区・誓願寺)

かつて誓願寺のある場所には、熱田神宮大宮司藤原季範の別邸があって、由良御前はこの場所で頼朝を出産したのだと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~由良御前の死と平治の乱~

1159年(保元4年)3月1日、由良御前が亡くなります。

それから9ヵ月後の平治元年12月、平治の乱が勃発。

13歳の頼朝も初陣を果たしますが、義朝平清盛に敗れてしまいます。

義朝尾張国野間で殺害され、頼朝伊豆国へ流されています。

頼朝伊豆国へ流される際、由良御前の弟・祐範は、郎従1人を付けて送り出し、その後も伊豆国の頼朝の元に毎月使者を送っていたといいます。

希義は、由良御前の兄(弟?)・範忠に捕えられ、土佐国へ流されました。

坊門姫は後藤実基に預けられたのだといいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

のちに鎌倉幕府を開いた頼朝は、1189年(文治5年)、母の供養のため、鶴岡八幡宮に五重塔を建てています(参考:鶴岡八幡宮の五重塔)。


鶴岡八幡宮


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源義朝最期の地

源頼朝配流地

歴史めぐり源頼朝



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