足利基氏は、室町幕府を開いた足利尊氏の四男。
足利直義(尊氏の弟)の養子となったともいわれ、母は、鎌倉幕府最後の執権赤橋守時の妹登子。
鎌倉幕府滅亡後、鎌倉には兄の義詮(室町幕府二代将軍)がいたが、義詮は、時期将軍の地位に就くため京に呼び戻され、代わって基氏が鎌倉に送られ、鎌倉府の長官として鎌倉公方と呼ばれた(1349年(正平4年))。
父尊氏と叔父直義とが対立した観応の擾乱では、直義と上杉憲顕に付いたが、直義が敗北すると尊氏に従っている。
関東における足利の勢力を固めたが、1367年(正平22年/貞治6年)、28歳で死去。
瑞泉寺に葬られる。
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