鎌倉に武家の都を創った源頼朝は、1199年(建久10年)1月13日に亡くなりました。
自らが建てた持仏堂に葬られたのだそうです。
持仏堂は1189年(文治5年)に建てられ、本尊は京都の清水寺から賜った2寸銀の正(聖)観音像でした。
文覚に命じて京都で描かせた阿弥陀三尊像や、平治の乱で頼朝が帯びていたという源氏重代の太刀「髭切」(ひげきり)も納められていたのだといいます。
頼朝の一周忌には北条政子が自らの髪の毛を除髪して刺繍したという「梵字の曼荼羅」が飾られました。
2人が崇敬した熱海の伊豆山神社に伝えられている「頭髪梵字曼荼羅」がそれだともいわれています。
持仏堂は頼朝が葬られた後は法華堂と呼ばれました。
今はその法華堂はありませんが、その跡地といわれる所に墓塔が建てられています。
現在の墓塔は、1779年(安永8年)に薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで)が建てたもの。
島津氏の祖・忠久は頼朝の御落胤だという伝説が各所に残されているようです。
頼朝墓の東の山の中腹には島津忠久の五輪塔もあります。
参考までに。
(大阪:住吉大社)
住吉大社には頼朝の御落胤伝説が残された誕生石があります。
頼朝墓への石段は、頼朝が亡くなった年齢と同じ53段なのだとか・・・
いつのころからかわかりませんが、頼朝墓の下には法華堂が建てられ、鶴岡八幡宮の相承院(二十五坊の一つ)が別当を勤めていたそうです。
明治の神仏分離で法華堂は廃され、頼朝を祀る白旗神社となりました。
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夏休み鎌倉計画!