粟生野は、1175年(承安5年)、浄土宗の開祖・法然が初めて「念仏」の教えを説いた地。
光明寺は、源頼朝の御家人として源平合戦で活躍し、のちに法然の弟子となった熊谷直実が1198年(建久9年)に創建した念仏三昧院を前身とする寺院。
1228年(安貞2年)、法然の遺骸を荼毘に付してから光明寺に改められました。
1175年(承安5年)、浄土宗を開いた法然。
最初に念仏の法を説いたのが粟生野だったのだといいます。
参道
右が表参道、左が紅葉参道。
表参道
紅葉参道
本尊は、法然自ら作ったという「張子の御影」。
粟生山観音寺の十一面千手観音像が安置されています。
洛西観音三十三霊場七番札所。
法然が亡くなってから約500年後に東山天皇から贈られたもの。
光明を発したという伝説の石棺。
歓化所
法然上人像
宝物庫
庫裡
専門寮
圓光大師火葬跡
勅使門
鎮守社
薬医門
閻魔堂
「東行逆馬」(とうこうさかうま)は、熊谷直実の伝説。
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鎌倉との繋がりを求めて・・・