恋塚寺は、恋する袈裟御前を誤って殺してしまった遠藤盛遠が、袈裟御前の菩提を弔うために建てた寺。
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伝説によると・・・
1157年(保元2年)春3月、淀川に架けれた渡辺橋の橋供養の警固にあたっていた遠藤盛遠(もりとう)は、美しい女房を見かけます。
「あれはいったいだれか」と思った盛遠。
女房の輿のあとをつけると、源渡(みなもとわたる)の家へ入っていきました。
女房は、3年振りに見た袈裟御前だったのです。
※源渡は、源頼光の四天王の一人源綱の子孫。
綱は一条戻橋の上で鬼の腕を「髭切りの太刀」で切り落としたという伝説で知られています。
※幼い頃に両親を亡くした盛遠は、叔母の衣川殿のもとで養われていました。
袈裟はその衣川殿の娘です。
日が経つにしたがって美しくなった袈裟を慕う心が募っていく盛遠。
やがて夏が過ぎ秋がやってきます。
盛遠は9月13日の朝、衣川殿の家に押しかけ「袈裟に会わせてほしい」と強要します。
衣川殿が断ると刀を振りかざして脅します。
困った衣川殿は、仕方なく袈裟に手紙を書いて呼びつけることとしました。
駆けつけてきた袈裟に衣川殿は、盛遠の話を語り、袈裟に殺してくれるよう頼みましたが、袈裟としても母親を殺してまで自身を守るわけにもいきません。
そして、夜になると盛遠が乗り込んできて、袈裟と盛遠は一晩を過ごしました。
朝になると盛遠は「帰さない」と言い出します。
すると袈裟は、「夫の渡を殺してくれ」と頼みます。
「夫の髪を洗い、酒を飲ませて酔いつぶれさせて寝かせます。そこへ忍んできて討ってください」
それを聞いた盛遠は、喜んで日が暮れるのを待ちました。
一方、家に帰った袈裟は、渡の髪を洗い、酒をすすめて、酔いつぶれた渡を奥のとばりに寝かせつけます。
そして、自分の髪を水で濡らし、いつも渡が寝ているところに身を横たえ、盛遠が来るのを待ちました。
そうとは知らない盛遠は、約束どおり渡の家に忍び込み、濡れた髪をした首を打ち落としました。
その首を袋の中に入れて、自分の屋敷に戻った盛遠は、「ほっ」としてくつろいでいると、「袈裟が殺された」という情報が飛び込んできます。
盛遠は、「はっ」となって首を入れた袋を開けてみると、その首は袈裟の首でした。
夫への操をたてるため、自らの命を犠牲にした袈裟御前の物語です。
この時、袈裟は16歳。
袈裟御前の墓
その後、盛遠は出家し「文覚」と名乗り、袈裟の菩提を弔ったのだといいます。
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鎌倉との繋がりを求めて!
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