別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年5月25日木曜日

史跡に建てられた鎌倉歴史文化交流館




5月15日からオープンした鎌倉歴史文化交流館。

その場所は、源頼朝の時代から鎌倉幕府の有力御家人だった安達氏の居館があったといわれ、安達氏の菩提寺・無量寺があったともいわれています。

そのため、無量寺ヶ谷と呼ばれています。

『吾妻鏡』によると、無量寺では1265年(文永2年)6月3日に安達景盛の十三回忌仏事が行われています。

参考:安達盛長邸跡


さらに、名刀正宗で知られる刀匠正宗(五郎入道正宗)の子孫・綱廣が北条氏綱から与えられた土地だったのだともいいます。

そのため、綱廣谷とも呼ばれていたのだとか。


そして最近では・・・

世界遺産ガイダンス施設としての整備事業が進められていたんでしたなぁ~。


入館すると流鏑馬の写真


正宗24代末裔・綱廣による刀

最初の展示品は正宗工芸

それはそうかもしれませんなぁ~

綱廣の名は、北条氏綱の一字をもらった名なのだとか。


赤絲威鎧

次は「鎌倉武士の鑑」と呼ばれた畠山重忠の鎧の模造。

畠山重忠は、源頼朝の鎌倉入りや、上洛のときなどに先陣を任された武将。


天平5年銘の木簡

御成小学校周辺は、1979年(昭和54年)の発掘調査によって、半地下式倉庫跡や天平5年(733年)の銘が入った木簡が発見され、鎌倉郡衙の遺構と考えられています。


新編鎌倉志

鎌倉の名所旧跡を訪ねた徳川光圀が家臣に編纂させた鎌倉の地誌。

この他にもたくさんの展示品がありましたが、キリがないので省略します。


外の見学もできます!


説明板がないので何なのか説明せよと言われても無理ですが・・・・

寺院跡だったという感じがしますかね。




ここは、刀工・綱廣の屋敷にあったという合鎚稲荷社の跡。

階段をのぼったところに鳥居が建っていたそうです。

昭和60年に発行された沢寿郎先生の『知られざる鎌倉』には、「15、6年前まで「正宗稲荷」の祠があったものです」と書かれています。

この「正宗稲荷」というのが葛原岡神社に移された合鎚稲荷社のことなのかと思われます。

『知られざる鎌倉』には、正宗稲荷の祠や鳥居の写真が載せられています。



合鎚稲荷社は、平成25年に祠が新造されて葛原岡神社に移されています。

(葛原岡神社)


合鎚稲荷社の跡地からは相模湾が見えました。












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