別冊『鎌倉手帳』

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2017年4月30日日曜日

日蓮の弟子・日朗の土牢~鎌倉:光則寺~

1260年(文応元年)、日蓮は、長谷にあった宿谷光則の屋敷を訪れて、政治や宗教のあるべき姿を著した『立正安国論』を北条時頼に渡してくれるよう光則に依頼します。

『立正安国論』は光則によって時頼に提出されますが、日蓮の献策は受け入れられませんでした。

その後、多くの弾圧を受けながらも、世の中の正道を説き続けた日蓮は、1271年(文永8年)9月12日に逮捕され佐渡流罪となります。

その時、弟子の日朗も捕らえられ、光則がその監視の任に当たることになりました。


 日朗の土牢

捕らえられた日朗は、光則寺裏山に残されている土牢に幽閉されたと伝えられています。


 土牢御書の碑


土牢の前には、日蓮が、幽閉されている日朗に書いた手紙の碑が建てられています。

佐渡流罪となった日蓮は、弟子の日朗の身を案じて手紙を書いたといいます。

その手紙が『土牢御書』と呼ばれているものです。


『土牢御書』には、牢を出たら佐渡に遊びに来るように書かれています。

日朗は、日蓮の佐渡流罪中、8度にわたって佐渡を訪れたといいます。


1274年(文永11年)2月14日、執権北条時宗は日蓮の赦免を決定します。

赦免状を携えて佐渡に渡ったのも日朗でした。


日蓮が赦免された年、日朗の監視役をしていた宿谷光則が自邸を提供し寺としています。

それが現在の光則寺です。

開山は日朗。

光則は、弟子の身を案ずる日蓮に感動して帰依したのだと伝わっています。


 宿谷光則の墓


日朗は、のちに日蓮の六老僧の一人に数えられ、池上本門寺の基礎を築いたといわれています。

その遺言によって松葉ヶ谷で荼毘にふされ、お猿畑に葬られています。


 日朗荼毘所
(安国論寺)

 日朗廟所
(法性寺)


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