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~叡尊と鎌倉~
(新清凉寺釈迦堂)
奈良西大寺の中興の祖・叡尊は、1262年(弘長2年)、鎌倉に下向。
新清凉寺釈迦堂に滞在したと伝えられています。
叡尊の鎌倉での活動をつづった『関東往還記』によると・・・
5月1日、浜悲田と大仏悲田で貧民たちに食を施しています。
浜悲田を担当したのは、弟子の忍性でした。
※「悲田」というのは、病人・貧民・孤児などを収容する施設です。
叡尊の鎌倉下向によって、鎌倉での西大寺流律宗の基盤が固められます。
叡尊を鎌倉に招いたのは北条実時だったといわれています。
横浜市金沢区の称名寺は、実時が叡尊の影響を受けたことによって真言律宗に改宗されたのだと伝えられています。
1267年(文永4年)、忍性が極楽寺の開山に迎えらると、極楽寺が鎌倉での律宗の本拠となります。
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