別冊『鎌倉手帳』

okadoのブログは、『鎌倉手帳』(寺社散策・観光)の別冊。
鎌倉の寺社・歴史・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
鎌倉の歴史にかかる関係地・寺社の情報も。




Translate

2017年2月15日水曜日

曽我兄弟の仇討ち事件~富士裾野の巻狩り~

『曽我物語絵巻』

1193年(建久4年)、源頼朝は富士裾野で大規模な巻狩を催します。

頼朝を中心とする東国武士の力を公家に認めさせるための大軍事演習だったと考えられています。

その巻狩で起きた事件といえば「曽我兄弟の仇討ち」です。

曽我十郎祐成と曽我五郎時致が親(父:河津祐通(祐泰))の仇として工藤祐経を討った事件です。

1193年(建久4年)5月28日のことでした。

仇討ち後、兄十郎祐成は仁田忠常に討たれ、弟五郎時致は御所五郎丸に捕らえられ、処刑されたと伝えられています。


 曽我兄弟の墓
(小田原市城前寺の五輪塔)

曽我兄弟は曽我氏の血を引く者ではありませんが、母満江御前曽我祐信と再婚したことにより曽我の里に移り住んだのだといいます。

曽我兄弟の五輪塔の右には、曽我祐信と母満江御前の五輪塔も建てられています。


 曽我兄弟
(城前寺)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

まだ源頼朝が伊豆に配流の身であった頃のこと。

曽我兄弟の祖父伊東祐親と、兄弟に討たれた工藤祐経との間には所領問題が起こっていました。

伊東祐親に所領を横領された工藤祐経は、郎等に狩りに出た祐親を襲わせますが、殺されてしまったのは曽我兄弟の父河津祐通(祐泰)でした。

(どちらが悪いといえば、「先に工藤祐経の所領を横領した伊東祐親がいけないのでは」という感じもありますが・・・。)

幼かった曽我兄弟は母満江御前の再婚によって曽我の里に移り住みます。

その後、元服した十郎祐成は曽我の家督を継ぎ、弟五郎時致は箱根権現に預けられたとのだいいます。

1180年(治承4年)、伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が挙兵します。

曽我兄弟の養父曽我祐信は、大庭景親に従って頼朝に敵対しますが、頼朝が鎌倉に入ると投降して許されています。

曽我兄弟の祖父伊東祐親は、石橋山の合戦大庭景親と協力して頼朝を破りますが、のちに捕らえられ自害したと伝えられています。

(一説には処刑されたといいます(参考:鐙摺山)。)


伊東祐親といえば・・・

源頼朝と八重姫との恋を引き裂いた者として語られている人物です。

そして、北条時政の前妻は祐親の娘ともいわれています。

ということは、頼朝の妻北条政子や二代執権となる北条義時は祐親の孫ということになります。


工藤祐経は・・・

源頼朝追討の急先鋒だった伊東祐親とは違って工藤氏系の武将は頼朝方だったといいます。

工藤祐経は京にいたようですが鎌倉に下り頼朝に仕えるようになります。

歌舞音曲に優れた祐経は、

1184年(元暦元年)、一ノ谷の合戦で捕らえられた平重衡を慰めるために設けられた宴席で、鼓を担当しています(参考:教恩寺)。

1186年(文治2年)、鶴岡八幡宮の若宮回廊で披露された静の舞でも、鼓を担当しました。


 實相寺

鎌倉材木座の實相寺は工藤祐経邸のあった場所と伝えられ、開山の日昭は祐経の孫にあたるのだといいます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

曽我兄弟とそれを取り巻く人間関係はかなり複雑です。

兄弟の父河津祐通(祐泰)は伊東氏系ですが、曽我氏は工藤系の武将です。

弟五郎時致の烏帽子親は北条時政だという説もあります。

兄の名には伊東氏や工藤氏に使われている「祐」の字が使われているのに、弟には使われず「時」の字が使われたのはこのためでしょうか?

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

曽我兄弟による仇討ちが決行されたことにより、現場は大混乱の状況だったといいます。

鎌倉への使者は、「頼朝も嫡子頼家も命を落とした」と伝えたそうです。

それを聞いた北条政子は気を失いそうになりますが、その時、頼朝の弟範頼は「私がいるから大丈夫です」と慰めたといいます。

のちにこのことを聞いた頼朝は、範頼を「謀叛の疑いあり」として伊豆修禅寺に幽閉しています(参考:源範頼の謀叛)。

修禅寺に幽閉された範頼は、間もなく梶原景時に攻められ自刃した伝えられています。

そして、『吾妻鏡』には、範頼の処分とともに、「十郎祐成の一腹の兄弟の原小次郎が誅された」ということが記されているようです。

一腹の兄弟ですので父は工藤祐経に殺された河津祐通ということになるのでしょうか?

『吾妻鏡』の記事では、十郎祐成と五郎時致のもう一人の兄弟が範頼と関係があったということになります。

ということは、十郎祐成も五郎時致も範頼と通じていたということでしょうか?

北条時政が何やら関わってもいそうです。

五郎時致の烏帽子親という説もありますし、十郎祐成を成敗した仁田忠常は、時政とはかなり関係の深い武将です(のちに起こる比企の乱では、比企能員を暗殺しています。)。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

曽我兄弟の仇討ちは「日本三大仇討ち」といわれ、『曽我物語』では、親孝行の兄弟として二人を描かれているようですが・・・

様々な事を考えてみると「この事件の真の目的は何だったのでしょう?」という疑問が生じてきます。

もしかしたら、北条時政を中心とした「源頼朝暗殺計画」だったのかもしれないという説もあるようですが・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~曽我兄弟ゆかりの曽我の里~

 城前寺




 曽我梅林

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 富士裾野の巻狩り


 鎌倉手帳

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

親族が集まるときに考えてみましょう!

 任意後見契約

 遺言

 尊厳死の宣言

このブログを検索




Google+ Badge