(名古屋市誓願寺)
源頼朝は1147年(久安3年)に尾張国で誕生。
父は河内源氏の棟梁・源義朝。
母は熱田神宮大宮司藤原季範の娘・由良御前。
1159年(平治元年)の平治の乱で初陣。
父とともに平清盛と戦いますが敗れてしまいました。
(伊豆の国市)
翌年、伊豆国流罪。
約20年間を伊豆国で過ごします。
(小田原市)
1180年(治承4年)挙兵。
石橋山の戦いに敗れてしまいますが、真鶴から安房国へと渡り再起を図ります。
(鎌倉市)
そして、大軍を率いて鎌倉に入ります。
鎌倉の街づくりは鶴岡八幡宮を中心に行われました。
1185年(元暦2年)、弟の範頼・義経の活躍で平家が滅亡。
(岩手県)
1189年(文治5年)、奥州征伐で奥州藤原氏を滅ぼします。
これで頼朝の命が全国に及ぶこととなりました。
1190年(建久元年)上洛。右近衛大将に任じられます。
1192年(建久3年)には征夷大将軍に。
(奈良市)
1195年(建久6年)、東大寺大仏殿の落慶供養に参列。
(長野市)
1197年(建久8年)には善光寺を参詣しています。
1199年(建久10年)正月13日没。
前年末の相模川の橋供養の帰りに落馬したことが原因だったと伝えられています。
(鎌倉市)
葬られたのは自らが建てた持仏堂(死後、持仏堂は、法華堂と呼ばれました。)。
現在の墓塔は、1779年(安永8年)に薩摩藩の島津重豪が建てたもの。
源氏山公園の源頼朝像は、頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられました。
源頼朝を祀る白旗神社(西御門)では例祭が行われ、武家政権の都を創設した頼朝の遺徳をたたえる祝詞が奏されます。
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