京都西陣の報恩寺は、「撞かずの鐘」の伝説で知られる寺。
鐘楼
昔、報恩寺の近くの織屋に丁稚(でっち)と織子(おりこ)が奉公していたそうです。
この2人、何かというと口げんかをしていましたが・・・
ある日のこと。
報恩寺の暮六つの鐘が「いくつ撞かれるか」というこで口げんかとなります。
丁稚は八つだと言い張り、織子は九つだと言い張りました。
ただ、丁稚は織子が「九つ」だと言うので「八つ」と言い張っただけのことで、実際は「九つ」撞かれることを知っていたそうです。
そこで、丁稚は使いに出たついでに報恩寺へ行き、寺男に暮六つの鐘を今日だけ「八つ」にしてくれるよう頼んだのだといいます。
そして日没のときがきて報恩寺の鐘が鳴り出します。
鐘は八つ鳴って終わりました。
翌朝、寺男が鐘を撞きに行くと、鐘楼に帯をかけて死んでいる織子を発見。
以後、報恩寺では朝夕の鐘は撞かれなくなり、除夜のときのみ撞かれるようになったということです。
梵鐘
報恩寺の梵鐘は、平安時代末に鋳造されたもので、重要文化財に指定されている名鐘。