ある年、建長寺では三門で施餓鬼会が行われました。
終わった後、梶原景時の亡霊が現れます。
亡霊は施餓鬼会が終わっていたので残念そうに引き上げていったそうです。
しかし、蘭渓道隆が呼び戻し、再び施餓鬼会を行ってあげると、感謝して消えていったのだといいます。
建長寺では、今でも景時の霊を供養するための施餓鬼会を行っています。
梶原景時は、1180年(治承4年)に源頼朝が挙兵したときは平家方に付いていましたが・・・。
『吾妻鏡』によると、石橋山の戦いに敗れ、山中に逃れた源頼朝の居場所を知っていながら、それを見逃したといいます。
翌年正月、梶原景時は源頼朝の御前に参り、御家人として名を連ねることとなります。
頼朝の信任が厚かった武将でしたが、一方で、1199年(建久10年)に頼朝が亡くなると、間もなく、御家人66名からの弾劾を受けてしまいます。
翌年には鎌倉を追放され、駿河国で最期を遂げました(梶原景時の変)。
三門梶原施餓鬼会は7月15日。
午前8時、国宝の梵鐘が撞かれ施餓鬼会が始まります。
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