河内源氏の氏寺だった通法寺跡には、源頼信、源頼義、源義家の墓があります。
源頼信墓
源頼信は、河内源氏の祖。
平忠常の乱を鎮圧し、東国支配の基礎を築きました。
源頼義墓
源頼義は、平忠常の乱後、平直方の娘を娶り、鎌倉の屋敷を譲り受け、東国支配の拠点としました。
前九年の役を平定。
凱旋後、石清水八幡宮を勧請して壺井八幡宮を創建。
源義家墓
源義家は、石清水八幡宮で元服し「八幡太郎」と呼ばれました。
前九年の役、後三年の役を平定し、東国武士からは武神として崇められています。
~通法寺~
通法寺は、源頼義が河内源氏の氏寺として建立した寺。
明治の廃仏毀釈の影響で、現在は山門と鐘楼を残すのみとなっています。
大僧正隆光の墓
源頼信の墓の前に置かれた墓塔は、徳川五代将軍綱吉に仕え、「生類憐れみの令」を公布した僧として知られる隆光のもの。
源氏館跡の碑
☆ ☆ ☆ ☆ ☆