武田義信は、
武田信玄の嫡子でしたが、1564年(永禄7年)、傅役(かじづきやく)の飯富虎昌らが信玄暗殺を企てたことから処刑されると、義信も
東光寺に幽閉されます。
1567年(永禄10年)10月19日死去(30歳)。
自刃したとも伝えられてますが死因は不明です。
東光寺は、鎌倉
建長寺を開いた
蘭渓道隆が入山したことで、密教寺院から禅宗寺院となりました。
武田信玄の時代には甲府五山の一つに数えられた寺です。
甲府五山とは、
鎌倉五山、
京都五山にならって信玄が定めたもの。
現在は臨済宗
妙心寺派に属しています。