井上ひさしの『東慶寺花だより』が原案です。
江戸時代、幕府公認の女性救済の寺がありました。
それが相模国(相州)の東慶寺。
上野国(上州)の満徳寺とともに、「駆け込み寺」・「縁切り寺」と呼ばれ女性の避難所となりました。
~千姫と天秀尼~
徳川家康の孫に千姫がいます。
千姫は、1603年(慶長8年)、豊臣秀頼と結婚して大坂城に入りますが、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣での大坂城落城の際に家康によって救出されました。
千姫は、秀頼の娘奈阿姫(側室の子)が処刑されそうになると、自分の養女とすることで助命してもらいます。
この奈阿姫が東慶寺に入って20世住持となった天秀尼です。
千姫は大坂夏の陣の翌年、本多家に嫁ぎますが、その前に上州の満徳寺に入寺してから再婚したのだといわれています。
そして、東慶寺と満徳寺は、千姫の由緒から「縁切寺法」が存続されたともいわれています。
こうして、徳川家康に認められた2つの寺は、江戸時代を通じて女性救済の「駆け込み寺」・「縁切り寺」として栄えることとなります。
~東慶寺花だより~
井上ひさしの『東慶寺花だより』は、1808年(文化5年)に東慶寺の蔭涼軒主となった水戸藩の姫君・法秀尼の時代の駆け込みの様子が描かれています。
東慶寺には様々な思惑を抱えた女性が駆け込んでいたようです。
『東慶寺花だより』には、井上ひさしが足かけ11年にわたって「オール讀物」に連載した全15話が収録され、特別講義「東慶寺とは何だったのか」も収録されています。
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