別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2015年1月18日日曜日

京都:瑞泉寺・・・豊臣秀次の菩提所


三条木屋町の瑞泉寺は浄土宗西山禅林寺派の寺院。

1611年(慶長16年)、豊臣秀次の菩提を弔うために角倉了以(すみのくらりょうい)によって創建されました。

角倉了以は、瑞泉寺の門前を流れる高瀬川の開削を行った豪商。


本堂(本尊は阿弥陀如来)


豊臣秀次は、豊臣秀吉の甥(秀吉の姉・日吉の子)。

1591年(天正19年)、秀吉の嫡男・鶴松が死去すると、秀次は秀吉の養子となり、関白となりました。

しかし、1593年(文禄2年)、秀吉に秀頼が誕生すると、秀次は次第に秀吉から疎まれるようになります。

1595年(文禄4年)、謀反の罪で高野山へ追放となり、7月15日に切腹させられました。

8月2日には、三条河原に梟首(さらし首)。

このとき、秀次の妻妾、幼児など30余人が打首にされたといいます。

遺骸がその場に埋葬され、塚が築かれ石塔が建てられたそうですが、鴨川の氾濫などにより荒廃していったそうです。


豊臣秀次供養塔

1611年(慶長16年)、瑞泉寺の門前を流れる高瀬川の開削工事を行っていた角倉了以は、「秀次悪逆塚」と刻まれた石塔を発見。

了以は「悪逆」の2文字を削り、その上に六角形の無縁塔を建てたのだといいます。


寺号は、秀次の戒名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」から付けられたもの。


引導地蔵尊

地蔵堂に安置されている地蔵菩薩像は、秀次の一族が処刑される際、四条大雲院の貞安が刑場に運び込んで、処刑される子女たちに引導を授けたという尊像。

堂内には処刑された子女の小像が奉られています。


宝篋印塔

秀次一族の供養のために建てられたというもの。
1740年(元文5年)建立。

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