そして、日柄などのことは関係なく1月1日の朝を「鶴岡八幡宮へ奉幣奉るの日」と定めました。
これが鶴岡八幡宮の元旦初詣の始まりだといいます。
※元旦→1月1日の朝
1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をし10月7日に鎌倉に入った源頼朝は、10月12日には先祖の源頼義が石清水八幡宮を勧請して創建した由比若宮を小林郷北山に遷座しました。
それが現在の鶴岡八幡宮の始まりです。
そして、源頼朝は鶴岡八幡宮を武家の都の街づくりの中心としました。
由比若宮(元八幡)
『吾妻鏡』によると・・・源頼朝の鶴岡八幡宮への初詣は、
1182年(養和2年)1月1日午前6時ごろ参詣。
1183年(寿永2年)・・・『吾妻鏡』欠落。
1184年(寿永3年)の参詣は前年末に上総広常暗殺事件があったため参詣せず(代理参詣・藤原邦道)。
1185年(元暦元年)1月1日午前6時ごろ参詣。
1186年(文治2年)1月1日の記述なし。2日、北条政子とともに甘縄神明神社参詣。
1187年(文治3年)1月1日、北条政子・嫡男頼家とともに参詣。
1188年(文治4年)1月1日参詣。
1189年(文治5年)1月1日参詣。
1190年(文治6年)1月1日参詣。
1191年(建久2年)1月1日に参詣の記述なし。
1192年(建久3年)1月1日午前6時ころ参詣。
1193年(建久4年)1月1日参詣。
1194年(建久5年)1月1日参詣。
1195年(建久6年)1月1日に参詣の記述なし。
1196年(建久7年)から1199年(建久10年)の頼朝の死まで『吾妻鏡』欠落。
参詣の記述のない年もあるようですが、おそらく元旦の初詣は行っていたことでしょう。
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