1600年(慶長5年)6月16日、徳川家康は会津の上杉景勝を征伐するため、大坂城を出発します。
そして、6月29日、鎌倉に到着。
鎌倉への入り口、
極楽寺坂の下にある
鎌倉十井の一つ
星ノ井の石碑には、1600年(慶長5年)6月に井戸を見物したことが刻まれています。
星ノ井は、家康が見物したことで世に知られるようになったのだとか・・・。
鎌倉に入った家康は、
鶴岡八幡宮を参詣し、神宝の剣「康国」を守り刀として借り出したそうです。
家康の東行は、石田三成に挙兵させることが目的だったともいわれていますが、
守り刀は、上杉征伐のためのものだったのでしょうか、それとも三成との合戦のためのものだったのでしょうか・・・?
その後、家康は金沢を経て7月2日に江戸に到着したという事です。
間もなく石田三成が挙兵。
9月には天下分け目の関ヶ原の戦いがあり、家康は三成に勝利しています。