別冊『鎌倉手帳』

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2014年5月20日火曜日

源義経終焉の地~奥州平泉~

1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、奥州藤原秀衡に庇護されていた源義経は、秀衡のもとを去り、兄頼朝のもとへ駆けつけます。

源平の戦いでは、平家を滅亡させた最大の功労者でしたが、頼朝の許可なく官位を受けたことなどから、頼朝の怒りを買ってしまいます。

1185年(文治元年)、頼朝と対立した義経は、九州へ逃れようとしますが、摂津国大物浦で難破し、逃亡生活を送ります。

そして、辿り着いたのが、やはり藤原秀衡のいる平泉でした。
義経が平泉に辿り着いたのは、1187年(文治3年)の春ごろではないかといわれています。

しかし、その年の10月、秀衡が亡くなります。跡を継いだのは泰衡でした。


(衣川館跡)

1189年(文治5年)閏4月30日、義経は、頼朝の圧力に屈した泰衡に衣川館を襲撃され、自刃します。

高館義経堂は、のちの1683年(天和3年)に仙台藩主・伊達綱村によって建てられた堂です。

義経像


義経主従供養塔



夏草や兵共が夢の跡

1689年(元禄2年)5月13日、奥州を訪れた松尾芭蕉は、平泉文化を築いた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った源義経を思って「夏草や 兵共が 夢の跡」と詠みました。


高館義経堂からの景色



中尊寺の月見坂入口には、武蔵坊弁慶の墓と伝えられる五輪塔があります。

弁慶は義経を守って戦い、衣川で立ち往生を遂げたと伝えられています。


源義経妻子の墓
金鶏山

藤原泰衡に衣川館を襲撃された義経は、持仏堂に籠もって、妻の郷御前(さとごぜん)と4歳の娘を殺害し、自刃したと伝えられています。

金鶏山の麓には、義経妻子のものと伝えられる五輪塔が置かれています。


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