別冊『鎌倉手帳』

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2014年3月18日火曜日

源義朝最期の地~愛知県美浜町野間~

愛知県知多郡美浜町野間は、平治の乱で敗れ、東国へ逃れる途中の源義朝が、長田忠致に討たれた地。

源義朝は、鎌倉に武家の都を創った源頼朝の父。



1159年(平治元年)12月、平清盛に敗れた義朝は、尾張国野間の長田忠致のもとに身を寄せます。

 源義朝の像
源義朝像

しかし、1160年(平治2年)正月3日、平家の恩賞に授かりたい忠致は、義朝に入浴をすすめ、入浴中の義朝を殺害しました。

義朝の郎党・鎌田政長(政清・政家)も酒の席で殺害されています。

 法山寺
法山寺

湯殿跡は法山寺にあります。



法山寺の入り口にある乱橋は、義朝が殺害されたことを知った義朝の家臣と、長田忠致の家臣が戦ったという場所。

 乱橋



野間大坊(大御堂寺)にある義朝の墓には、たくさんの木太刀が供えられています。

これは、義朝が「我れに木太刀の一本なりともあれば」と言い残したことによります。



殺害された義朝の首が洗われたという池。

義朝と政長の首は京に送られ獄門にかけられました。



 長田父子磔の松

義朝を殺害した長田忠致父子は、源頼朝が挙兵するとその下で働き、多くの手柄をあげたといいますが、頼朝は忠致父子を許すことはありませんでした。

1190年(建久元年)、上洛途上で野間に立ち寄った頼朝は、忠致父子を松の木に磔にして殺害したと伝えられています。

 長田屋敷跡
長田屋敷跡


野間大坊の手打ちそば

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