別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2013年12月4日水曜日

相模の武将:大庭景親



藤沢市大庭にある宗賢院は、1505年(永正2年)の創建と伝えられる曹洞宗の寺院。

1180年(治承4年)、源頼朝挙兵に敵対した大庭景親の居館がこの辺りにあったと伝えられ、宗賢院には景親の茶釜が伝えられています。




龍骨堂

宝篋印塔


大庭氏鎌倉権五郎景政を祖とするといわれ、平安時代末には大庭氏が景政の開発した大庭御厨の経営を行っていたといわれています。

宗賢院の近くには景政の馬つなぎの場所だったという「台谷(だいやと)稲荷の森」があって稲荷神社が祀られています。





大庭景親は、1156年(保元元年)の「保元の乱」では源義朝に従っていましたが、1159年(平治元年)の「平治の乱」義朝が敗れると平氏に接近し、相模国の有力豪族に成長していきました。

1180年(治承4年)の源頼朝挙兵に際しても平氏方につき、「石橋山の戦い」で頼朝を破りますが、安房に渡って再挙した頼朝が大軍を率いて鎌倉入りを果たすと形勢は逆転し、「富士川の戦い」で平氏軍が敗走すると、頼朝に投降し、片瀬で処刑されました。



大庭神社は「延喜式内相模十三座」の一つに数えられ、1777年(安永6年)に大庭景親も祀られています。




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