その生涯がどのようなものだったのか想像もつきませんが、和歌に秀でた実朝の和歌には様々な地で出会うことができます。
鎌倉国宝館前の歌碑(鶴岡八幡宮)
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
実朝桜の碑(鶴岡八幡宮)
風さわぐをちの外山に雲晴れて桜にくもる春の夜の月
坂ノ下海岸の歌碑(鎌倉海浜公園)
世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
伊豆山神社(熱海市)
ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらし
走り湯(熱海市)
伊豆の国や山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり
湯前神社の歌碑(熱海市)
都より巽にあたり出湯あり名は吾妻路の熱海といふ
源実朝公御首塚の歌碑(秦野市)
ものいわぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ
『吾妻鏡』によれば、1219年(建保7年)正月27日、右大臣拝賀の式に向かう実朝は・・・
出でて去なばぬしなき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
と詠んだといいます。
そして、この日、甥の公暁によって暗殺されてしまいました。
「ぼんぼり祭」の最終日(8月9日)は、源実朝の誕生日。午前10時より実朝の遺徳を偲ぶ「実朝祭」が行われます。
(源実朝が暗殺されたという大石段と本宮楼門)
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