別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2013年5月19日日曜日

源氏重代の太刀~頼朝の「髭切」と義経の「膝丸」~

清和源氏の初代で六孫王と呼ばれた源経基。

その旧跡には六孫王神社が建てられ清和源氏発祥の宮とされています。


(清和源氏発祥の宮)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

そして、経基の子満仲が作らせたという刀が「髭切」(ひげきり)。

罪人を試し斬りした際に髭まで切れたから付けられ名だといいます。

源頼光の代には、頼光の四天王の一人渡辺綱が一条戻橋で鬼女の腕を切り落としたという伝説が残され、「鬼切」と名を変えたともいいます。

その後、何度か名を変えますが、源義朝の代に「髭切」に戻され、1159年(平治元年)の平治の乱では、源頼朝が帯びて初陣を果たしました。

鎌倉時代には頼朝の法華堂に納められていたといいます。

その後、鎌倉に攻め入った新田義貞が持ち出したといわれ、現在、北野天満宮に所蔵されている「髭切」がそれだとも伝えられています(重要文化財)。



(京都)

渡辺綱が鬼女の腕を切ったという伝説が残る橋。


北野天満宮の燈籠
(京都)

渡辺綱が奉納したという燈籠。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

もう一つの刀「膝丸」(ひざまる)も源満仲が作らせたもの。

罪人を試し斬りした際に膝まで切れたから付けられた名だといいます。

病床の源頼光を悩ます妖怪「土蜘蛛」を、頼光が退治した太刀と伝えられ、以後「蜘蛛切」と名を変えたといいます。

その後、「髭切」と同じように何度か名を変えているようです。

そして、「膝丸」は源義経に伝えられますが、大覚寺箱根神社が所蔵する「薄緑」がそれだとも伝えられています。

『吾妻鏡』には、「吠丸」という刀が登場し、源義朝が後白河法皇に献上したものとして記録されています。


(箱根町)

箱根に何故満仲の宝篋印塔があるのかは不明。


 髭切と膝丸








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